2008年4月6日日曜日

あしならしピースウォーク4明野編






4/5 9:10ごろ明野総合支所をスタート。どんどん坂道を登っていく。やっぱり明野は暖かいんですね。学校とか町の施設に植えられた桜並木が見事に開花している。花爛漫のタイトルがやっと叶った5分咲き。明野は茅が岳ののびのびした裾野にひろがった農村。八ヶ岳、南アルプス、そして富士山の眺めがどこからでも見事なパノラマを見せてくれる。山の展望では日本でも屈指の場所なのでは、とここに来るたびに思う。
昔の太陽館や県立フラワーセンター(今はハイジの村というらしい)のあたりまで登り詰めるとあとは水平の道を八ヶ岳方向に進む。
明野でもう一つ目立つのは立派な公共の近代建築。それはボクの住む小淵沢の公共施設のみすぼらしさになじんだ目には何かまぶしい。それに管理も行き届いている気もする。これはなぜ?
梅の木遺跡で案内の人と待ち合わせた時間が10:30。のんびり歩きでは危ないというんでピッチを上げてひたすら歩く。なんとか時間通りに現地に到着。埋蔵センターの佐野さんもほとんど同時。すぐに遺跡の説明が始まる。汗ばんだシャツが寒風にさらされて冷たくなっていく。途中で暑いからと脱いだ上着を着直せばいいんですが。(ビデオを撮るとなかなか止められないサガ?でしょうか)でも眺望がいいだけに吹きさらす冷たい春風には降参。
とはいえ佐野さんの滔々としたお話はとても興味深く楽しいもの。今は保存のために土で覆われていて何も見えないけれど、その場所に立って聞くと縄文人の生活が目に見えてくるから不思議。縄文以後のこの場所でどんな人間の営みが繰り広げられてかという、今につながる物語になっている。
その頃から地球規模の温暖化や寒冷化がこの地域の歴史に大きな影響を与えているという。近頃の「温室効果ガスによる地球温暖化」が何かうすっぺらい作り話に見えて来たから不思議だ。それよりも問題は化学物質や核廃棄物による地球の汚染がなのでは?それを隠すための作り話のような気がしてならない。
そして説明が終わっても、ボクらの心には梅の木遺跡のすぐ奥の谷間をえぐって作られている産廃の最終処分場が、この村の、そしてこの地域の負の遺産としてこの、地に住む人々を将来も傷つけ続けるという物語に続いていく。
遺跡の一部にはゴミ捨て場も見つかっている。ゴミ捨て場といっても今の人間が考えるものとは全く違うのが面白い。たぶん壊れた土器などが埋められた場所。人間も埋葬されていた。
ゴミ捨て場には人間の生き方が凝縮されるのかもしれない。
もう一つ、梅の木遺跡には関係しないけれど、この辺りの巨摩という地名にちなんでのこと。寒冷化で農業ができなくなった時代に、大陸の騎馬軍団に対抗して日本でも大規模な騎馬軍団をつくるために、内陸の甲州や信州には大きな馬の牧場がつくられ、それが明野や八ヶ岳の麓に広がっていた。馬は大陸からの亡命者と一緒に日本に運び込まれ(日本には馬がいなかった)、その馬の飼育や騎馬軍団としての訓練をするためにこの地に派遣されて来たのが高麗の人々だった。後にこの人たちは今の埼玉県の高麗村(現在は合併して日高町の一部に)に移り住む。彼らはそうした馬を扱う特殊な技術者集団だったようだ。
帰り道はひたすら裾野を下るばかりで、登りの半分の時間で出発点に戻ったような気がする。1:30総合支所にて解散。案内して頂いた、対策協の篠原出さん、処分場の現在とこれからの問題点を説明していただいた小松原さん。北杜市の教育課職員佐野さん。いろいろ手はずを整えていただいた明野の皆さんには、大きな声で「ありがとう!」といいます。

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